オリンピックのエンブレム取り下げるなら、もっと早くするべきだったのに。
タイミングは大切だ。
さて、今回のエンブレム騒動は美術をやってる人間として結構興味がある。
一番の問題は佐野氏のデザインというものに対する考え方なのだと思う。
そしてその考え方は、外国の人から昔からよく言われる「日本人は真似るのは得意だがオリジナリティーに欠ける」に通じると思う。
写真をそのまま使用した手抜き仕事はまた別の問題だ。話にならない。
あるものに手を加えて洗練させたり、寄せ集めて構成したり、展開を広げたりする技術において、
佐野氏は優れているのでしょう。
責任あるポジションにいるわけだし。
でもデザインするということは技術だけじゃない。
アイデア自体もデザインすることの一部だ。
問題は一番の土台であるべき自分のデザイン(デザインというものに対する考え方)が
弱いってことなんじゃないかな。
だから一目見て多分この人の作品って思う特徴的なものが弱い。
他人の作品に影響を受けることは悪いことじゃない。受けていいんだ。
そもそも人間は何かしら影響を受けそして与えながら生きていく。
話し方も、書き方も、行動や仕草さえ影響を受けるし与えもする。
誰にも何にも影響を受けていないと言う人がいたとしたら、僕はその人を疑う。
でも創作物の場合、作品の表面から影響を受けただけじゃ足りない。
制作者の考え方や生き方からも影響を受けたほうがいいと思う。
そうすれば自然とオマージュになるか、自然とそれを乗り越えてやろうと思うはずだ。
僕のような無名の美術作家が偉そうで何だが、
世間や世界に認めてもらいたいって思う時点で違うんじゃないかな。
認めてもらいたいということは、世間や世界が自分より上にある状態だ。
有名な表現者達は世間や世界を認めさせちゃうんだ。
岡本太郎なんて別に当時望まれてなかったのに、あんなバカでかい太陽の塔作っちゃうんだもん。
あっぱれ。