表現するだけ

 

表現する方法は二通りある。

 

それをそのまま表現するか、それを裏返すことでそれを表現するか。

 

好きオーラを全開にして好きを表現するか。

意地悪することで好きを表現するかのようなもの。

 

どちらが伝わりやすいかは、人それぞれ、受け手次第で変わる。

 

どちらの方法が正しいかは、知らないし知り得ない。

 

どちらかを正しいと「する」かは人間が決めることだから可能だが、

これが絶対に正しいなんてことは無い。

 

もしそれを決めることが出来るとしたら、

人間以外の第三者に委ねる他ないと考える。

 

でも神様を見かけたことはないし、ナナも人間の言葉を話してはくれない。

あっ、ナナとは僕の実家にいるミニチュアダックスのこと(笑)

 

だから、最終的には自分がどうしたいかしかないのだ。

 

見返りを求め過ぎず表現するだけだ。

 

そういえば、先日映画「ゼロ・グラビティ」を観てきた。

 

ストーリーは単純だが、IMAX3Dで見たこともあり迫力がすごかったし、

無重力を目で体感した気になりすごく楽しかった。

 

あの映画を見て、宇宙船や宇宙飛行士にリアリティが無いと言う人もいるが、

タイトルからして分かるように、別に宇宙船や宇宙の旅を描こうとしたわけでは

ないのだから、そんなにツッコミ入れなくていいのではと僕は思ってしまう。

 

タイトルにツッコミを入れたくなるのは少し分かる。

原題は「グラビティ(重力)」なのに邦題は「ゼロ・グラビティ(無重力)」だから。

でも、作った人がOKしているのであれば、それも別にいいではないかと思う。

 

あの映画を言い表すのに「重力」にするか「無重力」にするかってだけだ。

どちらでも言い表せる。

 

さてさて、話がだいぶ長くなってしまった。

もう少しで終わりにします。

 

今回の瓢箪の作品、瓢箪の形状からもっと効果を引き出せないかと考えた。

瓢箪と分かる前に形状を楽しんでもらいたいと思ったのだ。

 

瓢箪を普通に立たせると、当然丸い部分の大きいほうが下にくる。

そのおかげで瓢箪だと認識しやすい。

見知ってるものだから安定感や安心感もある。

瓢箪から安定感や安心感を取り除きたかった。

なんでかというと絵にそれを求めたから。

 

そしてまず最初に、真っ二つに割ろうと考えた。

でも中がどうなってんのかよく分からないし、

作品が複雑になりそうな気がしたので、それはやめた。

 

どうしたもんかなと考えたが、

シンプルに一番手っ取り早い方法にした。

 

上下を逆さまにしたのだ。

単純だが、こうして描く人も少なそうだし。

 

大きな丸い部分が上になったことで不安定感,不安感が出た。

なので、絵の重心をぐっと落とした。

安定感、安心感がある図案なので全体の調和もとれてるように思う。

 

なにを描いたかは言わない。

全部バラすと面白くなくなるから。

 

『驚きは人類の最上の部分である』ゲーテ「ファウスト」より

 

そろそろ絵具乾いたかな。

 

では!