僕には生みの父親と生みの母親が1人ずついる。
まぁ育ての親も一緒なのだが。
その父親と母親にも、それぞれ父親と母親がいる。
僕には祖父2人と祖母2人がいるということだ。
まぁ当たり前の話だ。
その祖父と祖母にもそれぞれ父親と母親がいるわけだから、
僕には曾祖父が4人と曾祖母が4人いることになる。
こうして遡って行くと、
僕という人間が存在するために、とんでもない人数が関わっていることが分かる。
とんでもない人数の遺伝子が、僕の身体を作ったわけだ。
僕の身体は僕のものでもあるけれど、
とんでもない人数のものでもあるということだ。
じゃあ僕の精神、意識はというと。
大抵の人間はその社会で生きて行くために、
言葉を教えられ、その家の習慣を教えられ、
その家以外の習慣知り、道徳や法律などを教えられる。
それらは変化しながら大昔から脈々と繋がっている。
とんでもない人数の精神、意識で、
今の僕の精神が出来上がっていることになる。
精神、意識すらも僕だけのものではないみたいだ。
人と出会う度、作品を鑑賞する度、本を読んだり音楽を聴いたり映画を見る度に、
僕の中で他人の精神、意識が活動を始める。
そう思うと死なんてものは存在しないような気がしてくる。
たぶん生命は姿形を変え永遠に生き続けるものなんだろう。
僕はここにいるけど、ここにいない。
いや~ほんと不思議だなと思う。
まぁ生命の仕組みからしたら全然不思議じゃないのかもしれないけど。
ちなみに、
こうして長々と文章を書いているのに、僕はもうほとんどここにはいない。
ほとんどの意識は乾かし中のガラス絵といる。
ということで、じゃあ。
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