しまった。

 

先程ブログを更新したのだが、

最後に記した日付を一日間違えました(恥っ)

 

6月30日 西谷拓磨 ではなく、

 

6月29日 西谷拓磨 です。

 

あ〜っ、くそ〜(苦笑)

 

 

 

 

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一年後の僕

一年前の今日は、一ヶ月間の韓国滞在の一日前だった。

 

その一年後の今日は、一ヶ月間の韓国滞在の機会を与えて下さった

福岡のギャラリーに向かう一日前だ。

 

これが一年の長さかぁとしみじみ思う。

 

一つ歳を取るのはあっという間だし、少し寂しい気もするが、

もし、もう一度この一年をやり直すことが出来たら、

やり直しますか?と聞かれたら答えはNOだ。

 

前へ進む感覚が欲しいのだ。

 

一度だけの一日の連続を、物事の一回性を大切にしたい。

 

やり直しが利くと思ったら、

僕はその一度目の人生をナマケモノのように過ごすだろう。

 

そして二度目の人生も三度目を期待して、ナマケモノのように過ごすだろう。

 

もしそれが永遠と繰り返されると思ったらゲロを吐くだろう。

(・・・ニーチェみたいだ。)

 

しかし、人生が一度だけの一日の連続で、それが永遠と繰り返されるとするならば、

そんなに悪い気はしないよ。

 

一回性にはドキドキやわくわくがあるから退屈しない。

 

新鮮な一日の無限大。

 

・・・それにしても、いちいち一の多い変な文章になってしまった。

さっさと言いたいことを伝えて置かねば。

一時間以上もかかってしまった。

 

 

いくつもの願いを込めて展覧会を企画させて頂きました!

 

この展覧会への参加を心良く引き受けて下さった、

 

伊藤香奈さん、井ノ上理恵さん、橋本敦史さん、

宇野本一明さん、そだきよしさん、

チャンスターことJANG DOOYOUNGさん、チコことJEONG CHI-SEONGさん

 

そして、20周年という節目の年に展覧会の機会を与えて下さった

Galerie RECOLTEさん

 

本当にありがとうございました!

 

 

一つでも多く笑顔が増えることを祈って。

 

2013年6月30日 西谷拓磨

 

 

 

あっ、どの展覧会かはこちら↓

 

 http://www.g-recolte.com/area/exhibitions/8steps-plus/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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答えを求めるのではなく

問いを求めること。

問い続けること。

 

そして、今日はもう寝ること。

 

 

 

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橋の出来た日

時の流れは、どんどん早くなるから、

 

 

・・・いや、違うな。

 

便利さを追求する人間社会は、

時の流れを早めたような気にさせるから、

気をつけなきゃいけない。

 

速度が上がれば上がるほど視界は狭くなる。

 

人間の脳みそは、コンピューターみたいに

正確に素早く多くの情報を処理出来やしない。

 

立ち止まったり、きちんと咀嚼することが大切だと思う。

 

心と心がしっかり繋がる橋をかけるには、

それなりの時間「間」がかかるものだ。

 

 

 

それにしても、心と心がしっかりと繋がったと思えた時、

無性に嬉しくなるのは、なぜなんでしょう?

 

 

 

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複製産物

表現という表現は、どんなに突き放してみても、

包み隠してみても、さらけ出してみても
自分というものから離れることは決して出来ない。
                            
ころころと変わる、社会の理念は当てにならん。
自分の中に理念を持て。
                         
しっかりと心を落ち着けてみると、
変わり続ける自分の中で変わらないものがいくつも顔を出す。
そういうものをしっかりと感じていたいのだ。
                             
そんなことを思いながら、
一ヶ月ほど前から自分のルーツ、日本人のルーツを探っている。
複製され続けている細胞の中にある、
縄文と弥生の記憶をしっかりと感じ取りたいのだ。
                                  
まぁ、カッコつけずに言えば、縄文土器や土偶の写真集を
ひたすら見続け自分との共通点を見つけているだけのことなんだが・・・。
                                     
僕は常々、世の中は複製の複製による複製のための世の中なのでは?と考えていた。
                                      
単に増殖するというより、
複製するために増殖という複製をしていると考えている。
                           
カラオケなんかとってみても、
歌手の歌を、他人が歌うことも複製だ。
そもそも、歌を複製し全国のカラオケ店に配信しているわけだし、
その歌手が歌を作った時も、何かしら、誰かしらの影響を受けているわけだ。
                                   
なぜ複製され続けるのだろう。
              
                          
そして更に不思議なのは、なぜ生物の複製が完璧ではないのかということ。
同じ種族でも、全く同じというものが存在しない。
必ず個性が生まれる。
                            
そういうことが不思議でならない。
で、そんなことを考えていたら、
本屋で武村政春氏の「世界は複製で出来ている 共通性から生まれる多様性」
という本を見つけた。
                                  
自分が考えていることは、大抵もう既に誰かが考えているものだ。
人類の歴史は長いのだ。
どうやって自分なりに表現するかだけだと思った。
                                  
まぁ、そんなことはどうでもいい。
この本がとにかく面白かった。
(ちなみに最近出た本です。)
                           
考え方も文章も面白いし分かりやすい。
ぶ厚くないから気軽に読める。
すごくオススメ。
                  
職場の昼休みに少しずつ読み進めようと思って買ったのだが、
一気に読み切ってしまった。
                           
で、さらに複製思考に興味を持ち、複製についての本を探した。
すると「レプリカ」というタイトルのぶ厚い本を見つけた。
パラパラとページをめくると、読んだことがある文章が。
                         
!んっ。と思って表紙をよく見ると、
同じ著者のものだった。
「世界は複製で出来ている」は「レプリカ」が母体になった複製産物だったのだ。
                                    
「わおっ」と思ってつい買ってしまった。
                                    
「世界は複製で出来ている」の序章にこんなことが書いてあった。
                              
この世が複製社会であるとするならば、
複製の起源を辿っていけば、
たった一つのオリジン(究極的なオリジナル)にたどり着くはずであり、
もしそうなら、
複製を起点として物事を考えていくことで、
私たちのすべての源が明らかになるかもしれない。

 

 

いや〜〜っ。いいね。

 

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