先日母校である日本デザイン福祉専門学校(旧日本デザイン専門学校)の文化祭で公開制作してきました。
学生時代に好きだったアンディ・ウォーホル。(今も好きです)
その作品Brillo Boxを頭の片隅に思い浮かべながら
HEBIO BOXという段ボール作品を制作しました。
初めて作るタイプの作品をぶっつけ本番でやる事にしたので少しドキドキしましたが楽しく制作出来ました。
並べ方自由、見え方色々の面白い作品になったと思います。
まさか学校のアトリエでThe Velvet Undergroundの曲を流しながら作品を作る日が来るとは思ってなかったので貴重な経験になりました。
現在作品は学生ホールに展示されているということで生徒たちの反応も楽しみです。
個展始まりました。
2人展などはやっていたけど個展となると5年ぶりぐらいになります。
無事オープンすることが出来たけど久しぶりの個展、そのうえ偶然性や即興性を取り入れた新しい表現方法ということで時間の感覚がだいぶおかしくなり搬入日までバタバタでした。
そしてやりたく無かったけど10数年ぶりぐらいに完徹しました。
自分でも何考えてたのかよく分からないけど、タイトルリストなど展示の準備が全然済んでないのに搬入前日まで新作を作ろうとしてました。
作品が何点あるのかも把握していなかった自分にびっくり。
午前9時半のチャーター便になんとか間に合った(正直に言えば無理やり間に合わせた)けどそこから会場に行って17時まで作品の設置。
かなりヘロヘロになりました。
もう徹夜なんて出来ないと思ってたけど本当にヤバくなったらやれるものだね。
もうやるつもりはないけど。
なんだか初めて個展を開いた頃を思い出して少し楽しかったです。
もうこんなバタバタは二度とごめんだけど。
兎にも角にも久しぶりの個展始まりました。
写真は後日アップします。
まだ全然撮れてないもので。
数年ぶりに個展やります。
まだまだ作品が終わってないので焦りますが、この緊張感と苦しさを楽しめてもいます。
久々にワクワクしてます。どうなることやら。
西谷拓磨展ーONOGOROJIMAー
古事記によると遠いむかし日本の国が出来る前、国がまだ水に浮かぶ脂のようにどろどろと漂っていたころ、イザナキ神とイザナミ神の2人は天上界にいる三柱(みはしら)の神々から国づくりを命じられ、天沼矛(あめのぬぼこ)という矛を授けられた。
イザナキとイザナミは天浮橋(あめのうきはし)という天と地を結ぶ橋に立ち、授けられた矛を海原に刺し下ろし海水を「こをろこをろ」とかき回して引き上げた。すると矛の先から滴り落ちる潮が積もり重なり凝り固まってオノゴロ島が出来上がる。
そして2人はその島を拠点に国づくりを開始したという。
私はこういう神話の神秘的なエピソードが好きです。
それは想像力を高め自分なりのものへと形を変える膨らみを持つからです。
神秘的であるには自分自身でコントロールが出来ない偶然性や無意識を伴う即興性が必要だと考えそれらを利用しながら制作しています。
今回の展覧会では心という海のようなものの中に天沼矛となる絵筆を刺し下ろし私の心にどろどろと漂う意識と無意識の間にいるイメージを形にし自分なりのオノゴロ島を築き上げ八百万の神を産み出したいと思います。
ご高覧頂けましたら幸いです。
西谷拓磨展 ーONOGOROJIMAー
2024年7月1日(月)〜13日(土)※日祝休廊
11:00〜19:00 (最終日は17:00まで)
Hideharu Fukasaku Gallery Roppongi
〒106-0032東京都港区六本木6-7-8 深作眼科ビル1F・B1
TEL 03-5786-1505
E-mail hfg@fukasaku.jp
<ここには面白いものが沢山あるぜ> ガツガツ
<ニャアニャアも、ここまでは来れまいて> ガツガツガツ
<今宵も自由を謳歌するのだ!> ガツガツガツガツガツ
<見よ、この強靭な歯を!全てを噛み砕いてみたいのだぁ!>
ドーーーーン!!
<うぉ、何事だ!>
ドーーン! ドーーン!
<下から不気味な音が響いてきやがる>
ドーーン! ドーーン! ドーーン!
<逃げろ、逃げろ。なんかやべぇぞ!>
<嫌だね。こんな素敵な楽園を捨てられるかって>
自然の声 「毎日うるせぇネズミだなぁ。おかげで電気が付かなくなったし、
もう我慢ならん!」
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今日は、仕事帰りにドラックストアーでネズミ退治グッズを見てきた。
殺鼠剤か忌避剤かで迷っている。
それとネズミからすれば、人間も、人間が作った様々なモノも、
全て自然の一部だ。殺鼠剤や忌避剤は理不尽な天災でしかないなと思った。
しかし縄張り争いも生命の本能だ。
やるしかないのだ。
ところが、1つ大きな問題がある。
彼らが喜びを謳歌する大地は、2階の床である1階の天井と
アトリエである地下室の壁、それらの中。
外側の世界と内側の世界を隔てている、
その壁の中へと立ち入ることは、容易ではないのだ。
薄いのに。
実際、彼の唯一の仕事は、
偶然というものに機会を与えることであったが、
その偶然たるや刺激されねば動き出さぬという場合があまりにも多い。
カミュ「ペスト」より
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先日、思いっきり最後のひと押しをしたら、
馬の作品が想像以上にうまくいき、
興奮してしまった。
そしてその勢いで現在「木とキリン」という作品を制作中。
今年の秋は、のんびりと美術館やギャラリーを回っていた。
そして作品制作より、考えをまとめることに時間を割いていた。
とてもいい時間だった。
気付くと、(いや正確には気付いていたのだが、なるべく考えないように
していた。考えると気が遠くなるので。)
年末、年始、来年、と展示の予定がぎっしり埋まってしまった。
だいぶ追い込まれてきたので、ガンガン制作に取りかかります。
自らの尻に鞭を打って。
作品制作時、動物の資料をしばしば用いる。
木製パネルの横に資料を置き、じっくり眺めて形を覚える。
そして、それを「無視」する。
とても愉快だ。
物事を拒否した瞬間、その一瞬に自由を感じる。
資料を見ては「無視する」を繰り返す。
僕が自由を感じているのだから、当然それは画面にも現れる。
しかし僕は根っからの否定的な人間なので、
無視するということも拒否しだす。
なので結果的には、ある程度の形を保つことになる。
資料の動物に似てるけど似ていない、変なものが出来たりすると
とても愉快だ。
以前読んだなんかの本に、熊谷守一さんは手紙が来ても名前も見ずに捨ててた
という話しがあった。
小心者の僕には、さすがにそこまでは出来ないが、
最近、パソコンのメールチェックをしないという行為にハマってる。
基本は3、4日。長くても一週間ぐらいだけど。
そんなことでも自由を感じるのだ。
ちなみに今日で3日目。
もし僕のパソコンに、メールを送られた方がいたら、
ごめんなさいね。
明日チェックしま〜す。